内面劇場

本の感想をメインに書いてます

『瑠璃宮夢幻古物店(全7巻)』自分が選んだモノなのか、モノに選ばれたのか。

 

古いものは好きですか?

私は古本や古道具など好きなほうです。時代を経て自分の元に巡ってきたんだなぁと思うと、歴史を直接感じることができて感慨深くなります。
反対にかつての所有者がどのような気持ちで手放したのか。ふと、気になってしまいます。
誰が使ったかわからないため、気持ち悪い気もします。
1人の使用だったのか、数人の手に渡ってきたものなのか、ただの物として扱われたのか、思い入れが篭った物なのか。

よく念が宿るといいますよね。
自分でも、思い入れのある物は愛着がわき、他のものとは違う気持ちで接してしまいます。

この物語は大正時代から続く古物店のお話です。
こちらで取り扱う商品はただの古道具ではなく、意思を持って生きているかのように人を惹きつける、いわくつきの道具です。
店長曰はく7、人と物は互いに引き合うのだという。魅入られた人の手に渡る際、店長はそっと、忠告をします。

ですが殆どのお客様は、気にすることもなく、躊躇することなく手にした道具をいとも簡単に使用してしまいます。まるで物に操られるかのごとく。

店長こと、瑠璃宮真央は多くを語らず人と物との行く末を静かに見届けます。そんな彼女の元へ、道具の作用によって家族が崩壊してしまったとある女性が逃げるように弟子として住込み始めます。
道具の恐ろしい一面を体験を持って味わった彼女は、いわくつきばかり扱う真央に疑問を持ちつつも、店長の人と物のありかたに対するスタンスを理解しつつ自分ならではの考え方をお客様を通じて、模索しながら家族の修復に、奮闘します。

1話1話、メインの登場人物が違いそれぞれ魅せられた道具を手にしていくのですが、不思議と購入者同士の接点もできてきます。

何故、真央はいわくつきの道具ばかり集めるのか、彼女は人間なのか…など道具だけじゃなく、店長にも目が離せないストーリーとなっています。

古道具に魅入られた人々ががどうなっていくのか、また向き合ったことで何が変わるのか、ささいな日常の心の闇をコントロールするのは、自分なのかモノなのか。
読み終えたあと、ふと街角で瑠璃宮夢幻古物店を見つけた時、あなたは利用したいですか?まあ、見つけた時点であなたはモノに魅入られてしまっているのですけどね。


ー思考ー

モノが意思を持ち始めたとしたなら、それは作り手や使い手の心象に大きく影響されていると私は思います。
ならばもし、私が【文章の達人になれるメガネ】をかけてブログ作業に没頭し、自分でも信じられないくらい感動の出来栄えで、大反響だったとします。
果たしてそれは『私の才能が最大限に引き出された』のでしょうか?
メガネに宿る誰かが『私を使ってその誰かが自分の意思を遂行している』に過ぎないかもしれません。

        怖いです。

そうだとしても一度味わった栄光を捨て去ることは難しいことでしょう。悩む間にどっぷり浸食され…

今までのこのブログも、念のため読み返してみましょう!

…どうやら今のところ、そんなメガネを使用した形跡はないようです………はぁ。

 

※ご紹介した作品に“文章の達人になれるメガネ“は登場しておりません。よにこ の妄想です。

 

『瑠璃宮夢幻古物店』 著者:逢坂八代

 

お読みくださり ありがとうございました