内面劇場

本の感想をメインに書いてます

『夢と幽霊の書』幽霊は夢であってほしい

夢(寝ている間に見ている夢)または幽霊にまつわる不思議な話を集めて、セクションごとに振り分けて集約された本です。

この本で取り上げられている数々の夢は、複数人が同じ夢を見たり、また、予知夢のような現実とリンクする夢など。そして、ここにいるはずのない人との遭遇など不可思議な体験談となっています。

夢と幽霊を同じテーマとして一冊の本にまとめたことがすごいなと思いました。どちらも経験した人にとって、はっきり現実のような体験なはずなのに、実態が証明されないボンヤリとしたものでしかないもの。

私も経験ありますが、例えば金縛りというような状態になった場合大抵は、夢の中で幽霊に出くわしているので、目が覚めると目の前に、その夢の中の幽霊が残像となって現れるわけです。まさしく夢と幽霊がセットで上映され、またか、とわかってても怖いです。

集めた話のほとんどが時代は1800年代と少々古いのですが、なにせこの本が出版されたのが1897年なのでそこは仕方ないわけです。
同じ夢ではなくても、何かしら不思議な体験をされた方は昔から多くいらっしゃるようで、まったく知らない人達の見た不思議な夢、幽霊体験は面白く読み進められます。

『すべての幽霊は幻覚である』幽霊に関する認識は、約120年近く経った現代でも変わらずはっきり解明できないようです。

 

著者:アンドルー・ラング    訳者:ないとうふみこ

2017年8月30日初版

装幀(装丁)吉田篤弘吉田浩美クラフト・エヴィング商會

巻末エッセイ:吉田篤弘

発行所:(株)作品社

お読みいただきありがとうございました。

『異人たちとの夏』癒しと刺激のその先へ

夏本番でもないのに暑い日が続きますね。
怖い話がたくさん出る季節になりました。
私は今まで出会ったことがないのでどんなんかわかりませんが。出会っちゃう人によると、普通の人間と変わらないといいます。なので周りの反応で、ああ 違ったんか。と1人合点するらしいのです。
この作品ではとある条件のもと、主人公と関係ない人にも見えています。

 話は主人公、田原の離婚から始まります。切り出したのは自分からだっだものの、実は妻にはもう新しい相手がいて、それが自分なりに信頼を寄せていた仕事仲間の間宮だと知り、心身共に傷つき疲れた彼はある日、夕暮れの寂れた寄席で亡き父にそっくりな人に出会います。子供の頃に死に別れた当時の姿そのまま30代の両親が、40代になった自分のことを息子として当たり前に迎えてくれます。ありえない事だと思いつつ、この異空間が彼の理想郷となっていきます。
 また同時期に、彼の元に同じマンションに住むケイという女性が現れ交流が始まります。ケイとの時間は現実の孤独を埋めるのに互いに都合の良い形となり自然に恋人の関係になります。人に簡単に話せない亡き両親との交流、新たな恋人と、彼は段々と心が晴れやかになり、生き生きとしてゆきます。しかし実際、周囲から見える彼の姿は青白く痩せこけ、今にも死んでしまいそうでした。
そうです。彼はまさに生死の間際にあったのです。

 

 単なるホラーではなく、懐古ファンタジーな要素もあり、割とあっさり終わるので鬱々することないです。(主人公と両親の交流したあの街の情景がなぜだかとても気に入って、私も一緒に入り込み、昭和の初めの街並みを私はついひとり想像の中歩いてしまいます。)
妻と息子に見放され、身寄りもなく孤立した中年の男性に純粋に甘えられる居場所と、年下の美しい女性との後腐れのない愛欲が与えられ、さらには疎遠になった間宮との修復、なんならうまく付き合えなかった元家族にも向き合える自己の成長もあって滅茶苦茶いい事づくしでほんと理想が詰まったお話です。

自己の成長というのが一番大事かもしれないなぁ。
田原と間宮の関係を見てると、人間関係について考えされられます。
普段つかず離れずでプライベートは極力踏み込まないけど、相手の本質を見ているっていう才能。

 最近気づいたのですが、私は主人公寄りの、『他人に意識が向かないタイプ』なので、いつも自分の内面世界にだけ向き合ってるんですよね。パラレルワールドで現実逃避してる場合じゃないのよね。

 

異人たちとの夏』著者:山田 太一

 

お読みいただきありがとうございました。

 

『城崎裁判』温泉って心底サッパリできるのです

 志賀直哉の『城崎にて』を読みながら電車の旅をまったり過ごす。執筆の行き詰まりから紹介された城崎温泉で主人公である作家は二泊3日の奇妙な体験をする。道中読んだ本の内容に沿って城崎温泉の観光地を散歩している主人公が気がつくと本の世界、ちょっと逸れた妖の世界に引き込まれてしまう。

34頁ほどの短編物語。これは、志賀直哉生誕100年を記念して刊行された、城崎温泉地で買える本です。裏覚えながら、違う作家さん2作品か3あったように思います。なかなか面白い旅の記念だと思い、この1作品を選びました。せっかくだから全部買えばよかったな。

温泉地だけあって、ストーンペーパーという耐水・防水性のある紙で作られていますが、やはり紙なのですんごい濡れるのはダメらしい。

城崎の温泉は、コウノトリが足を浸けていたのがきっかけの今から約1400年もの歴史がある古い温泉地なのだそうです。

そういえば物語のなかでコウノトリが訴えながらに語っていた『鶴の恩返し』本当はコウノトリ説があるのですね、知りませんでした。

コウノトリの恩返し』…ちと違和感…

実際のところ、読んだのは家に戻ってからですが、行ったばかりの街並みはまだ記憶に新しく、物語の情景がより鮮明に浮かび上がってこれはこれで現実の旅と、物語の架空の旅と2度楽しめました。

 

『本と温泉』

「城崎裁判」 著:万城目学

 


お読みいただきありがとうございました。

歯根膜炎の応急処置に『排膿散及湯』はいいかもしれない

歯根膜炎になり、ひと月が経とうとしています。

本の感想が迷走して停滞しているところに追い打ちかけるように歯痛に悩まされた2月、せっかくなので、歯がムズ痒くなってから激痛になり、マシになってきた期間を記録してみました。

  • 歯がムズ痒くなって歯医者に行くまで約一週間
    痛みの程度は、四六時中ムズ痒い~食べるとムズ痛痒いに変化し後半は鎮痛剤
  • 歯医者の翌々日から排膿散及湯服用して4日目に激痛治まる
    食事は流動食。極力、噛まない。あと鎮痛剤必須
  • 完治してないが、ムズ痒~激痛を越えたあたりまで約2週間かかった

■2月初めに、なんだか奥歯がムズ痒くなった。以前、歯が痛くなり、歯医者に行ったところ、虫歯もなく異常もみられないため、ストレス(又は肩こりなど)で影響がでてるんじゃないか、ということがあり、今回も公私でストレスのかかることが重なっていたため、しばらくしたら治まると様子見。

冷温にも甘いものにも左右されることないので問題なく食べていた。しかし、ムズ痒さが若干の痛みに変り、ここ3年ほど歯医者はご無沙汰で、しばらくぶりに近くにできた歯医者が日曜もやってると知り、予約してみた。

■歯に違和感を感じてから歯医者に行くまで約一週間。ムズ痒さの強度は増していたが、歯根膜炎というものを知らない私は、ガンガンその歯を使って普通に食べていた

レントゲンでの先生のみたてにより、私の訴えているムズ痒い歯は、銀を被せているので虫歯かどうかは開けてみないと分からないと。ただ、歯根膜が炎症起こしているからそれが原因じゃないかということだった。隣の奥歯の下に菌がいるが、さほど悪さをおこすほどではないとのこと。食いしばりぎみではあるせいか、噛み合わせの調整をされた。因みに、別の歯(渦中の歯とは全く別の場所)に虫歯があるので、次これ治療しましょうね、その時にまだ症状があれば被せをとって調べましょう。と、痛み止めなどなく終了。因みに虫歯治療のため次の予約は4週間後。そんな感じだったので、私も気軽な気持ちでいた。

■歯医者へ行った翌日、月曜日にはムズ痒さは痛みに変ってきて、鎮痛剤を必要とする状態に。タイミングの悪いことに、今月は仕事を休んだり、勤務中に歯医者へ行くことは難しい状況だったため、火曜日、会社近くの薬局で、「排膿散及湯」を買って服用をはじめた。

排膿散及湯は一日3回、大人は1回3錠~6錠と幅があり、薬局の人が始めの3日間くらいは6錠飲んで、腫れが引いても3日くらいは続けて3錠を飲むことを勧めてくれたので、6錠を食前または食間に飲んだ。
以降、食事は流動食に切り替えた。

■服用してから3日間、絶望の激痛地獄だった。頬も腫れだした。排膿散及湯は痛み止めではないので別に鎮痛剤が必要だった。鎮痛剤は4時間程度しか効かず、薬が切れると、ジワジワと左側の奥歯がズキンズキンと脈打ち、段々と痛みがこめかみや、舌、首、肩(全部左側だけ)に広がって、私の場合とくに、舌が半分噛み千切られるかのような痛みが一番辛かった。仕事中も頭の中は常に「痛いな、痛いな」ばかり。睡眠も十分にとれず、鎮痛剤は用量無視で飲み続けた。
 家族には仕事帰りに寄れる別の歯医者探した方がいいのでは?といわれたが、診てもらった時に症状が治まる期間を聞いたところ「2、3週間かな・・・」って感じだったので、治療で即治るものではないんだと私は判断し、排膿散及湯と鎮痛剤で乗り切ることに。その判断が良かったかどうかはまだわからない。

■4日目にして急に痛みが和らいだ。昨晩、もはや鎮痛剤は効果なく、もう用量達していたこともあり、てっきり飲みすぎて効かなくなったと思い朝まで鎮痛剤は飲まずにガマン(相当なガマン)していた。なので4日目起きてまず、排膿散及湯を6錠飲み身支度をしている際にふと「あれ?痛みが治まってる!?あんなの激痛だったのに?」と心底ビックリ。
なんと、4日目から痛みは疼き程度となり、鎮痛剤は一回も使用することなく過ごすことができた。昼食の際に、奥歯に食べ物が詰まっているのかと舌で触ると患部の外側歯茎が腫れていることに気付く。これが排膿ということなのか、白い膿がたまりだした。

■7日目、本日から排膿散及湯を4錠に減らして飲むことに。
まだ膿が出きっておらず腫れており噛むと浮く感じと、患部に当たる内側の頬に口内炎も出来てしまったので、しばらくは3回4錠を続ける。
7日目より夕飯は、流動食から普通のご飯に切り替えた。とはいえ、弾力のあるもの、硬いものはまだ無理なので、それ以外のものでゆっくり時間をかけて食べるようにした。

■9日目、口内炎は治まってきたが膿は出続けている。患部を舌で触ると塩味を感じるのはなんだろう? 歯茎の腫れは小さくなってきたものの膿は常に一定の大きさで、少し押すとサラサラした白いものが少し流れ出し、また溜まっている状態。膿は何の味もしないし悪臭もない。
 次歯医者へ行くまであと10日ほど。それまでは排膿散及湯を服用し続けることにする。

 

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 まだ完治とはいきませんが、歯医者へ行って、とくに抗生物質や、鎮痛剤を処方されない場合の応急処置として排膿散及湯は心強い漢方薬だと思いました。
パッケージ(ジェーピーエス製薬㈱)に、<炎症を鎮め、膿を排出する>とあり、効能・効果として<歯肉炎、扁桃炎、化膿性皮膚疾患の初期又は軽いもの>とあります。
激痛が治まったのは4日目なので、薬局の方のおっしゃった、2,3日は6錠という期間とだいたい合うので、飲まなかったらもっと激痛が続いてたのかなぁ。
ただ、痛み止めの効果はないので、ロキソニンSなどの鎮痛剤は必要、いや必須です。

 歯根膜炎になった歯は、なるべく使わないで休ませるほうがよいそうです。
私は左側の奥の歯でした。逆の方で噛んだとしても響くし、その片方も疲労させてしまっては困るので、痛みがある間は、毎食流動食にしていました。
 それにはドラッグストアなどで売ってる、『介護食』がとても役立ちました。1袋100g~120gと一食で済ますには私には量が少ないので、組み合わせて食べていました。けっこう種類が豊富で、なかには魚と野菜をそれぞれペーストにして、形をそれっぽく整えて一つの料理として完成された商品もありました。どれもお湯であたためるか、容器に移して温めれば出来上がりで簡単ですし、すごく助かりました!
また、スーパーの売り場ではおかゆが、お椀型パックになって売っているのもあり、量としてはこちらのほうが多いです。温めなくても食べれるし便利です。しかし、ほんとうに米と梅干1個とか、米と卵だけとかなので、野菜ジュースやビタミン配合のゼリー飲料など一緒に取り空腹を満たしていました。

今の段階として原因が歯根膜炎だけだったのかわかりません。次の歯医者の予約が4週間先だろうと、この先診てもらえる安心があるので、排膿散及湯と鎮痛剤で耐えてきましたが、もし平日仕事に余裕があるのなら、激痛に変った時点で歯医者に連絡して診てもらったと思います。

とりあえず『排膿散及湯』今後の為にも、常備薬として保管することにしました。
違和感を感じてからすぐ飲み始めるようにしたら激痛になる前に治まるかもしれない。

『名刀と日本人』日本刀と人の関わりは切っても切れない

日本刀は武器でありながら、守り刀のように神格的な要素をもつ不思議な存在です。
武器としての用途を失ってもなお、その美しさから美術工芸品として現在でも高価なものに変わりがないのが面白いと思います。

この本は、日本刀と日本人の関わり方の一つとして「贈答」に終点をあてて8つの章にわけて語られています。私が日本刀に興味を持ち始めて間もないころに読んだのですが、日本刀の知識などなくてもとても面白く読むことができました。
有名な武将や、刀に伝説があったり、妖怪が出てきたり、実在する時代にファンタジーが盛り込まれているので、日本刀の知識と一緒に歴史にもまた興味をそそられます。

読んだ中で、私が印象に残った刀は『名物分部志津』です。この時は、ほとんど日本刀を目にしたことがなく、こんなヘンテコな模様(皆焼のような)が刀剣のイメージになかったのです。

そりゃもうインパクト大です。

その模様はヘンテコといっても、著者の例えのとおり、入道雲のようで、シロクロの写真ながら美しいなぁ〜と見惚れました。失敗作だとのことですが、成功は失敗のもとともいいますしね。実戦向きではなかったのかもしれませんが、魅力的な姿となり後世に残ったことは有難いことだなぁと思います。

私が日本刀にハマった時期が、ちょうど日本刀の大ブームと重なり、いまではあっちこっちで大切に保管されていた沢山の刀達を鑑賞することができました。
ただ日本列島津々浦々行く資金は乏しく、いまだにこの分部志津にで会えないままです。

いつか機会が巡ることを祈って…

 

『名刀と日本人:刀がつなぐ日本史』 

著者:渡邉 妙子

 

お読みくださりありがとうございました

 

 

『死霊解脱者物語聞書』世の中には嘘のようなホントの話があって

 

累-かさね この名の女性は有名ですよね。様々な物語がつくられていますが、それらの大元となった、とある村で起こった事件を実体験された方々から聞き書き起こした本です。

死霊解脱物語聞書をWeb検索すれば沢山の情報が載せられています。それで殆ど分かってしまうのですが…紙の本が好きなので。

こちらの本は、江戸時代に書かれたものを現代の読者にわかりやすい状態に活字化されたものです。漢字は現代使われているものに変換されていますが、仮名遣いは底本のとおりになっているため、少々読みづらいのですが、わからないことはありません。

大変親切なのが、各章ごとに大意として現代語訳を載せています。先にその現代語訳を読んでから、原文を読むほうがわかりやすいと思います。

あらすじを簡単にいいますと
1672年江戸時代、茨城県にある当時羽生村という里で起きた怪事件。
顔の醜さから夫に殺されたことで、悪霊となり後妻を次々と殺し、ようやく産まれた子、菊に憑依し、夫へ恨みを晴らしにきた累。夫、与左右衛門の悪行を知った村人たちと、祐天上人によって累の救済に奮闘する話が語られています。

初めの章から、いきなり殺害現場を語る構成で人々を引きつけます。以降、憑依した累と与左右衛門、村人達とのやりとりが細かく描写されていきます。

物語のだいたいが名主がメインとなり村人たちが菊に取り憑いた累と話をし、累の救済のため供養をしてゆきます。ヒーローのように書かれている祐天上人が登場するのは後半です。

私は、祐天上人が凄い法力でスカッと悪霊退散すると思っていたのですが、なんというか、当時まだ学僧であったからなのか祐天上人は法力で解決してないんですよね。
だいたい力技で悪霊(て、実体は14歳の女の子)の髪の毛引っ掴んで床に叩きつけて痛めつけてるんですよね…
『菊を殺して俺も死ぬ』とか脅し出すし。
荒療治ですが、一旦累が離れ衰弱した菊を誰よりも気遣ってくれた心優しい方であったようです。

この話は累の怨は夫に対してだけではなく、非情な理由で殺された自分を見て見ぬふりをし続けた村人達への復讐でもあるように思われます。
菊に憑依した累は、村人の亡き親兄弟は殆ど地獄行きだと、悪事を詳細に公表し村人達は自分達だけではなく噂を駆けつけ集まってきた近隣の村々に羞恥をさらすことになります。因果鳳凰、現世の行いが極楽浄土へ行けるか地獄行きになるか、仏法説話としても世に教えとなる話になっててただの実話を後世に残したかっただけではないのですね。

そんなほんまかいなって話ですが、累の供養のための石仏が存在しています。茨城県の法蔵寺というお寺です。石仏だけではなく、祐天上人が使用した数珠も保管されているそうです。

www.ibarakiguide.jp

 

『死霊解脱物語聞書』 解題・解説:小二田誠二

 

お読みくださり ありがとうございました

『瑠璃宮夢幻古物店(全7巻)』自分が選んだモノなのか、モノに選ばれたのか。

 

古いものは好きですか?

私は古本や古道具など好きなほうです。時代を経て自分の元に巡ってきたんだなぁと思うと、歴史を直接感じることができて感慨深くなります。
反対にかつての所有者がどのような気持ちで手放したのか。ふと、気になってしまいます。
誰が使ったかわからないため、気持ち悪い気もします。
1人の使用だったのか、数人の手に渡ってきたものなのか、ただの物として扱われたのか、思い入れが篭った物なのか。

よく念が宿るといいますよね。
自分でも、思い入れのある物は愛着がわき、他のものとは違う気持ちで接してしまいます。

この物語は大正時代から続く古物店のお話です。
こちらで取り扱う商品はただの古道具ではなく、意思を持って生きているかのように人を惹きつける、いわくつきの道具です。
店長曰はく7、人と物は互いに引き合うのだという。魅入られた人の手に渡る際、店長はそっと、忠告をします。

ですが殆どのお客様は、気にすることもなく、躊躇することなく手にした道具をいとも簡単に使用してしまいます。まるで物に操られるかのごとく。

店長こと、瑠璃宮真央は多くを語らず人と物との行く末を静かに見届けます。そんな彼女の元へ、道具の作用によって家族が崩壊してしまったとある女性が逃げるように弟子として住込み始めます。
道具の恐ろしい一面を体験を持って味わった彼女は、いわくつきばかり扱う真央に疑問を持ちつつも、店長の人と物のありかたに対するスタンスを理解しつつ自分ならではの考え方をお客様を通じて、模索しながら家族の修復に、奮闘します。

1話1話、メインの登場人物が違いそれぞれ魅せられた道具を手にしていくのですが、不思議と購入者同士の接点もできてきます。

何故、真央はいわくつきの道具ばかり集めるのか、彼女は人間なのか…など道具だけじゃなく、店長にも目が離せないストーリーとなっています。

古道具に魅入られた人々ががどうなっていくのか、また向き合ったことで何が変わるのか、ささいな日常の心の闇をコントロールするのは、自分なのかモノなのか。
読み終えたあと、ふと街角で瑠璃宮夢幻古物店を見つけた時、あなたは利用したいですか?まあ、見つけた時点であなたはモノに魅入られてしまっているのですけどね。


ー思考ー

モノが意思を持ち始めたとしたなら、それは作り手や使い手の心象に大きく影響されていると私は思います。
ならばもし、私が【文章の達人になれるメガネ】をかけてブログ作業に没頭し、自分でも信じられないくらい感動の出来栄えで、大反響だったとします。
果たしてそれは『私の才能が最大限に引き出された』のでしょうか?
メガネに宿る誰かが『私を使ってその誰かが自分の意思を遂行している』に過ぎないかもしれません。

        怖いです。

そうだとしても一度味わった栄光を捨て去ることは難しいことでしょう。悩む間にどっぷり浸食され…

今までのこのブログも、念のため読み返してみましょう!

…どうやら今のところ、そんなメガネを使用した形跡はないようです………はぁ。

 

※ご紹介した作品に“文章の達人になれるメガネ“は登場しておりません。よにこ の妄想です。

 

『瑠璃宮夢幻古物店』 著者:逢坂八代

 

お読みくださり ありがとうございました